移住者インタビュー 北野さんご夫妻の体験談
北野 雅史さん、由希子さん
- 移住前の住所
- 神奈川県
- 移住日
- 2006年6月
- 移住形態
- ファミリー
- ご職業
- 会社経営・翻訳家
- ホームページ
-
http://www.gsuccess.co.jp/
( 株式会社ジーサクセス )
常にチャレンジし続けたいという思いを持った石井町出身の北野雅史さん。地元徳島のIT企業に就職後、日本全国を営業で回り、結婚後はニュージーランドに渡航して起業。帰国後は大手IT企業に就職後、横浜でITコンサルティング会社・翻訳会社を設立、2006年に石井町へUターン。
小松島市出身の妻・由希子さんは、これまでの経験を活かして、外国語活動コーディネーターやボランティア活動などに取り組まれています。
石井町に戻ってこようと思ったきっかけ
(雅史さん)ニュージーランドから帰国して、大手IT企業に就職した後、横浜市でIT会社を設立し、全国のクライアントへの対応のため全国各地を飛び回っていました。私の仕事はパソコンがあればどこでも仕事ができるので、オフィスを東京の近くに置く必要がありませんでしたし、いつかは徳島に戻って家を継ぐんだという気持ちも持っていました。
ちょうど2人目の子どもも産まれていたので、吉野川やカエルが鳴いているような田舎で暮らすことが子どもにとっても良いのかなという考えもあり、Uターンすることに決めました。
移住して良かったと思うこと
(雅史さん) 自分が子どもの頃に遊んだ環境と近いものがまだ残っていて、子どもたちに田舎暮らしを満喫させてあげられるところです。都会のように自分は自分、他人は他人というように人間関係がはっきり分かれていなくて、周りの人たちも子ども達を気にかけてくれたり、いけないことをやっていると叱ってくれる昔ながらの雰囲気が残っています。
両親が農業をしているので、目の前にある畑で採れたものを食べ、それを通じて野菜の旬など、子どもたちが学校では教わらないことを知ることができるというのは贅沢なことだと思います。
地元の方との距離が近くて、子どもたちのこともよく見守ってくれていることです。私たちが暮らす藍畑地区ではボランティア活動をされている方もたくさんいるので、机の上の勉強だけではなく色んなことを教えてもらっています。
徳島に戻ってから夫の両親と同居していますが、おじいちゃんとおばあちゃんと一緒に暮らすことで私も助けられることがあるし、子どもたちも優しい子たちに育ったなと思います。
移住して苦労したこと
(雅史さん)Uターンを決めた当初は、仕事の関係上、インターネットの回線速度や飛行機の便数などの環境に不安がありました。石井町の情報を調べていくうちに、横浜と同じように仕事ができる環境だということも分かりましたし、子どもの生活環境についても、自分の小さい頃のイメージや地元の方の人柄も知っていたので、特に心配はありませんでした。
(由希子さん)移住した当初は馴染みがなく、親しい人もいなかったので、地元の方との一歩踏み込んだ距離の近い付き合い方に戸惑いました。どこで暮らしても、その地域のルールが必ずあるので、郷に入れば郷に従えという気持ちも必要だと思います。
これから移住を考えている方へ
(雅史さん)ニュージーランドに初めて渡航しトラブルにあったとき、ホストファミリーや地域の人たちはなかなか言葉が伝えられなかった私たちの話を一所懸命聞いてくれたり、一緒に悩んでくれたりしました。そうした経験から、地域の人たちの人柄やちょっとした悩み事でも気軽に相談できる環境など、受け入れてくれる地域の雰囲気も大切です。ネットや雑誌からも情報は集められますが、町の雰囲気などを実際に現地に行って確かめてみて欲しいですね。
石井町は特に目立ったものがある町ではありませんが、ベットタウンとしての都市機能もありつつ、少し足を延ばせば海も山も川も近い場所です。暮らし方や遊び方とか、何をするにも選択肢がたくさんあって、良い意味ですごく中途半端な感じがいいところですよ。
石井町は子育てしやすい環境です。子どもが産まれたときから色んなサポートがありますし、小学校ではボランティアの方と多世代交流をする機会もあります。知り合いの方にも石井町の子育て環境が良いということで、移住された方もいらっしゃいますよ。
実際に生活してみないと分からないこともたくさんありますから、何事も一歩前に踏み出してみてください。